日本では車道を走る車や自転車は左側を走りますが、いざ外国へ行くと右側を走るよう定められている国が多いですよね。
管理人は昔ハワイに行ったときにレンタカーを借りたことがありましたが、運転しづらくてひやひやしたことがありました。
日本は左側通行、外国は右側通行どうしてこのような違いがあるのか。
詳しく調べてみました。
日本の左側通行と日本の刀文化
日本では昔は車などはありませんでしたので、道を行くほとんどの人が徒歩や馬に乗っていました。
これが武士の時代になると、腰に刀を身に着けるようになります。
右利きが多かった世の中なので、必然的に左側の腰に刀を付けているのですが、この時道の右側を歩くとどうなるでしょうか?
対面で向かってくる相手も左側に刀を付けているので、すれ違う時に刀同士が触れあってしまいます。
刀が触れあうというのは、時代背景からすると戦いの合図でもあり、白昼堂々往来で刀同士の喧嘩が増えてしまったのだそうです。
そこで、道の左側を歩く習慣が作られたのです。
また、長距離移動をするために必要な馬に乗りこむ時は左側から乗り、さらに馬がすれ違う時にも左側をお互いが進んでいれば刀が当たることはありません。
その後車が登場すると、歩行者との接触などが危険視されるようになりました。
となると、歩行者が車に対して背中を向けているより、対面している方がより安全だという点から、歩行者は右側通行というのが決められたのです。
右側通行はナポレオンと密接な関係があった
左側通行の国と右側通行の国との差は、世界の動きによるものだという説もあります。
14世紀ごろ、ローマ教皇によって左側通行をするという決定がくだされ、多くのヨーロッパ諸国が左側通行になりました。
しかし、18世紀にはフランスで革命が起こり、宗教的な反発が大きくなって、右側通行という手段を取るようになります。
その後、フランス皇帝となったナポレオンがヨーロッパの国々を支配しながら、その国での交通手段を整備していくにつれて、正式に右側通行を法令として定めたという記録もあります。
しかし、イギリスだけは、ナポレオンの支配を逃れた国であるため左側通行が残っています。
日本もナポレオンには支配されていませんし、当時大国だったイギリスを真似て左側通行を守っていたと言われています。
日本の場合は、明治時代に入ると警視庁からの通達で、
・人力車同士がすれ違う時は左側によけること
・馬車や牛車は車道や馬車道の左側を通行すること
・歩行者は車道や馬車道を通行しないこと
などが定められました。
まとめ
国によって左側通行と右側通行である理由には、このようにいくつかの説があります。
日本の文化からなのか、世界情勢によるものなのか、どちらも非常に興味深いですね。