日本で一般的に広まっている仏教の中には、たくさんの宗派があります。
その中のひとつである「浄土真宗」は、親鸞というお坊さんが開いた宗派のひとつです。
浄土真宗は、阿弥陀如来への感謝の気持ちを念仏として唱えることによって、
信心が得られるという考えの元で開かれていて、
“南無阿弥陀仏”とお経の中で唱えるのが特徴です。
そんな浄土真宗は、西本願寺派と東本願寺派という2つのグループに分かれています。
違う家の葬儀や法事に出かけた時に、自分の家のお経とは違うな…
と感じたことがある人もいるのではないでしょうか。
もちろんお経だけでなく、仏壇や法具の違いも多々あります。
浄土真宗の2つの流派について、その違いをまとめてみましょう。
本願寺派が西と東に分かれた理由
浄土真宗の開祖である親鸞が京都で没した際、本願寺というお寺が立てられました。
時が経って、全国に散らばっていた浄土真宗の信者をまとめようとする動きが出てきますが、
その意思とは反対に信者たちは全然まとまりませんでした。
やがて戦国時代へと時代が移り、本願寺は
その勢力を倒そうとする織田信長と長い闘いに入っていきます。
戦いが長引く中で本願寺のトップだった顕如(けんにょ)は、
紀伊(和歌山県)に移動して戦いを止めようと考えていました。
しかし、顕如の息子である教如(きょうにょ)が断固として戦いを継続しようとし、
本願寺の中で2つの考えで分裂が起こったのです。
考えの違う教如を跡取りにはできないと考えて、顕如は
次男である准如(じゅんにょ)に跡継ぎを決めましたが、豊臣秀吉が教如を京都に呼んで
本願寺をもうひとつ作ってしまいました。
これが西本願寺になったのです。
しかしその後も分裂騒動が続き教如は秀吉の後ろ盾もなくします。
最終的には徳川家康によって教如は東本願寺を与えられ、
そこでもうひとつの流派ができあがったとされています。
2つの流派の違い
西本願寺は「本願寺派」と呼ばれ、東本願寺は「真宗大谷派」と呼ばれています。
2つの流派では、基本的な考え方は同じくしていますが、まず本尊の形に違いがみられます。
阿弥陀如来像を本尊としていますが、木像には後光がデザインされており、
この本数がそれぞれ異なっています。
また、仏壇にかざられる仏具にも違いがあります。
東本願寺の方が金色の装飾で派手であり、鶴をかたどった燭台を使っているのが特徴です。
さらには、お経の読み方も異なっています。
阿弥陀如来に感謝を述べる“南無阿弥陀仏”の読み方が、
東本願寺では「なむあみだぶつ」なのに対し、西本願寺では「なもあみだぶつ」
というニュアンスで唱えています。
元々はひとつの宗派であったのに、親子の争い、
そして兄弟の争いから分裂することになった浄土真宗の2つの流派。
世俗な仏教だと言われていた浄土真宗ならではの分裂騒動だったのかもしれませんね。