フランスのテロ事件で人々が「表現の自由」を叫ぶ姿は印象に残っていますね。
また、日本でも特定秘密保護法などで「言論の自由」が守らないと危惧する声が上がりました。
そこで、今回は「表現の自由」と「言論の自由」こちらの違いについてご紹介したいと思います。
同じように見えて全く違う意味を持ちますので、この機会にぜひ知っておいてくださいね。
表現の自由には2つの意義がある
まず、表現の自由ですが、2つの意義があるとされています。
ひとつは、個人が表現を通じて、自己の人格を形成したり、さらには発展させるという自己実現としての価値というもの。
もうひとつは個人が表現を通じ、政治的意思決定などに関与するといった、自己統治といった価値などというものです。
言論の自由は国際人権法で保護されている
さらに、言論の自由ですが、こちらは、自由権の一種となっています。
ですので、検閲などを受けることなく自身の思想だったり、さらには良心を表明するといった自由を指しています。表現の自由の根幹である、といわれており、現在では国際人権法というもので保護されています。
世界人権宣言第19条さらには市民的及び政治的権利に関する国際規約などにも規定されていますが、多くの国ではまだ、保障されるまでには至っていないという現実です。
つまりは、「表現の自由」のなかに、この「言論の自由」というものがあるといわれています。
まずは、「言論」というものは「表現」というものの1つとなっていますよね。
表現の自由といいますが、この「表現」の中には、「言論」というものも含まれていますが、さらには、「歌唱」だったり、さらには「演劇」だったり、「映像」だったりなど、色々な表現の手法というものがあります。
表現の自由には法的定めはない
すなわち、言論の自由というものは、自由権の一種となっていて、国際人権法というもので保護されているというものになりますが、しかし表現の自由というものは、法的には定められていない、ということになりますね。
ですので、最近はこの表現の自由というものが問題となっているということが多いようです。
たとえば、小説などでは、他人の人権を侵害したという理由で裁判沙汰になったりなど、ニュースになったりしていることも多いですね。
さらには、ちびくろサンボなどの黒人差別問題だったり、さらにはヘイトスピーチなどの問題もあります。
これらの問題は、一部の人の人権を侵害しているのではないかという問題で合ったり、さらには差別を助長するのではないかということが言われています。
このようなことから、表現の自由というものは限界があるのではないかといわれていますし、表現の自由といっても、大規模なものになると責任問題と発展することは多いようです。
言論の自由というのは、やはり何かを言ったり、さらには話したりということになりますが、公の場で同じように発言しても人権侵害ということで問題となったりするようです。
いかがでしたか?こうした表現の自由、違いや意味などを頭に入れておいてくださいね。